Category : ヒビノコト
2016-09-07

rehabilitation

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もういい加減、長年の苦しみから抜ける努力を。
今日あれから初めて、自分が作ったもの(といってもシンプルな焼き菓子)を
家族以外の人に食べてもらった。
本音はともかく「美味しい」と評価をもらえて、なんだか泣きそうになる。
感想自体にではなく、人に食べてもらうところまで戻ってこれた自分に涙が。

料理することが怖くなってた。
毎日のごはんのことを考えるたびに、胃液が上がってくる日もあった。
作ったものを家族が食べている所を見るのが苦痛だった。
ちょっとでも箸が止まると、「いいよ・・(義父みたいに)捨てちゃっても」と
わざと席を外して、ごはんを捨てるための隙を与えてあげたりした。
・・・もちろん、ダンナはそんなことをする人ではないし、されたこともないけれど。

できるだけ「自分の料理」をしないように、
ほぼネットで調べたレシピに忠実に、または火を通すだけの半調理品を多用した。
なのでここ数年の我が家の食卓は、まったく味が安定していなかった。

むすこが産まれてからはさらに負の感情が増大して、離乳食が始まってから今日に至るまで、
「この子は私の味で育っちゃうんだな、なんだかかわいそう」と申し訳ない気持ちしかない。

実は私はとてつもなく不味いものを作り続けていたんじゃないか、
私の味覚はおかしいんじゃないかと思うこともあった。
味覚にまったく自信が持てなくなっていたので、
お裾分けでいただいたものや試食で分けていただいたものの感想を聞かれると言葉に詰まった。

とにかく、病んでた。
いや今もか。病んでます。

なんで自分を責めるほうに向いてしまったかというと、
義父は最後の衝突以来、一言も謝ることないどころか逆ギレの絶縁宣言を叩きつけておきながら
何事もなかったかのように気楽に生きているし、
数年経ってむすこが産まれてからは、全てがリセットしたかのようににこやかに接してくるので
実は私だけがおかしいんじゃないかという考えに至ってしまったから。

幸いここ数年で、八百屋さんを軸に色々な人と出会ったり別れたりを経験しているうちに
自分を責めることは間違いだと気づくことができた。

そのおかげで得た結論は、
「悪意を向けてくる人は更生(または反撃)できるけど
 悪意無く悪事をはたらく人はどうにもできないので
 受け手が工夫するしかない」
ということ。

つまり義父は、ナチュラルに人がいやがることをしてしまう人なので、
いちいちそれを責めても何を直していいのか理解してもらうことは難しい。
対処療法しかできないので根本的には何も変わらず、
結局別のことでまたいやがることをしてしまう。
なので受け手の私が我慢するか受け流すかするしかないと。

同居している人なので、受け流すのは容易ではないんだけれど
当時に比べたら多少は「ウチはウチ。他所(義父)は他所。」と区別できるようになってきた。
そのおかげで、義父との同居は「不快」ではあるけれど「苦痛」ではなくなってきた・・かな。

結果が今日のお菓子お裾分けというわけです。
小さな一歩、大きな前進。

余談ですがむすこが産まれてから今日まで、
義父とむすこを二人きりにさせたことは一度もないし、
義父の部屋に入ってしまうときは部屋のモノを触らないように目を光らせ
(相変わらずタバコやら注射針やらクスリやら、プラモの接着剤やら工具が散乱してるし)
私がいるときは外出前に玄関先で1〜2分接触させるだけ
(抱っこされてしまうこともあるけど多少は我慢)
それ以上の長い接触はダンナが居るときだけと決めています。

反対に実の両親には長時間の外出や子守をお願いしたりしています。
端から見れば不公平ですが、これまでの信頼度からいって当然の行為だと思う。

きっとこの先むすこが成長しても、「あまりおじいさんと関わらないでね、危ないから」と教育するし、
「人の厚意を踏みにじると周りの人は離れていくよ」と教えるつもり。

部屋に女の子を連れ込むより、義父を引き入れることの方に警戒してしまうんだなぁと思う(笑)
しょうがないよね、これは義父の因果応報です。

余談終わり。

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